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私見です。鵜呑みにしないデンワ。
2014年1月7日火曜日
インドネシア料理は存在しないという物言い
自分はインドネシア歴、そんなに長くない。 トータルで2年もいない。 しかも、そのほとんどを遊学に費やしてきた。 要は、不真面目に、根も下ろしていない状態だ。しかし、だ。
インドネシアにはインドネシア料理というものが存在しない、と言う頭の悪い物言いがある。インドネシアに接点が無い方は、はぁって言う感じだと思う。だって、インドネシアにある料理だからインドネシア料理とちゃうのですか、と言う正統な意見。そう、そういうあなたの意見こそが正しい。若干インドネシアをかじったことがある方なら、ナシゴレンとかじゃないの?と言うだろう。そう、その意見こそ、正しい、確信をついている。 ついでにいうとナシゴレン、実はめちゃくちゃうまいということはない。それには理由がある。後で説明する。
で、何、そのインドネシアにはインドネシア料理が存在しないっていう物言い、をまず説明する。インドネシアは日本と違い、実に多くの民族から形成される国家だ。3000の民族が暮らすらしい(今wikiで見た)。 はしょれば、よって、一国に、各地方の様々な伝統、文化が混在する。 日本から出たことがない、生粋の日本人は言葉上その意味を理解したつもりでも、実際、それを現存する事実として認識できないと思う。なぜなら、日本は原則単一民族国家だからだ。日本がアメリカに敗戦して、そのままアメリカに組み込まれ、日系アメリカ人にでもならない限り、又は、日本が二次大戦で勝利して、例は悪いが例えばの話、ハワイ、タイを占領して、彼らが、ハワイ系日本人、タイ系日本人とでもなって、そこに生粋の日本人が移住でもしない限り。 現在の在日二世三世でも厳しいのではないか。移民なら理解出来よう。 別にそれが悪いと言っているわけではない。長い歴史の中、ずっと、単一でいたから理解できないだけの話で、理解しなければいけない環境又は、興味でもない限り、別に理解などする必要もないと思う。
前置きがめちゃくちゃに長くなった。 で、上記を踏まえて、インドネシアと一口で言っても、様々な文化が存在し様々な料理が存在する。だから、厳密に言うと、インドネシア料理というものは存在せず、スンダ料理とかバリ料理とかパダン料理という地方料理が存在するだけだ。と、そういう物言いだ。 これが、日本から出たことのない、卓上の学者が言っているのならまだ許せもする。ただ、こういうことを言うのは、だいたい、こちらに住んである程度経ってる人々だ。 え、正しいこと言ってるんちゃうん、って思うでしょ。 若干でもインドネシアという国に興味を持って、この国に住んだ人の意見なら、その考え方は本当に単一国家民族的な考え方で、要は、主観でも客観でもこの国を直視せず、とんちんかんな文化論に浸ってるとしか言いようがないんです。文章下手の文章が長げーってのは自分のことです。すいません。
実は、インドネシア料理とは、インドネシア語と同じくらい意味を持つインドネシア国家の戦略的財産だ。複合民族国家というのは、ナショナリズムを維持させていないと、国として崩壊する危険性を絶えずはらませている。 この国の成り立ちは、植民地にある。原則オランダに植民地化された各地方の人間が、共通の環境に立ち、あるものは、そこから共通の西洋を学び、近代国家に目覚め、そして、共闘し、最終的にインドネシアという旧オランダ植民地枠で独立を勝ち取った。植民地化が国家意識を芽生えさせた。 よって、宗主国という敵がいなくなれば、元々各地に存在した各国々には、日本にあるような共通の基盤がなくなる。民族が違うのだ。基盤が、なくなればばらばらになり、時の独立戦争を勝ち取った権力者の国家構想も崩壊してしまう。だから、ナショナリズム、「我々は一つのインドネシアである」というロジックを深層的に各民族に植え付けていかねばならない。そのために一番重要なのは共通の言語だ。ここで、インドネシア語が制定され、義務教育でインドネシア語を全インドネシアにたたきこんだ。 日本と違い、言葉は国家形成のため、後からやってきたのだ。 料理にしても同じだ。中国では漢民族こそが中国人だというように、インドネシアでは、原則ジャワ人がインドネシアの主流であると考えてよい。 ジャワ人は普段、ジャワ語を使い、ジャワ料理を食べる。 現在は各地に各民族が移住、定住しているので、例えばジャワ以外の民族がジャワ人の経営する食堂のメニューを見ても、何の料理かわかりません、という事態がままある。逆もしかり。なぜなら、食は文化であるから。各地方の文化を体現するから。体現する言葉自体が各民族で違うからだ。 これでは、地方同士のインドネシア人は困る。よって、国民的な料理が必要となる。国を代表するような、ナショナルフーズ、誰の口にでも合う、共通の基盤。それが、ナシゴレン(フライドライス)であり、ミーゴレン(フライドヌードル)であり、インドネシア料理なのである。 だから、万民の国民食であるナシゴレンは、各地の舌の中間をとった平均的な味であり、且つ誰でも簡単に作れないといけない。安い油でご飯を炒めて目玉焼きが載っている程度である。こんな食い物に奥ゆかしさを感じる必要もない。にもかかわらず、インドネシアといえばナシゴレンと、外国人に言わしめる程の知名度がある。国際的に国民食として認められたのだ。これは、インドネシア国家のプロモーションの勝利である。 かつてバリ島を観光資源として政府主導でプロモーションした際、外国人向けに、ナシゴレンはインドネシア政府によってブランディングされたという。 それが嘘か本当かは置いておいて、しかし、たいしてうまくもないただの焼き飯を、外国人観光客はインドネシアの代表料理だと認識して、うまい、うまいと食べているではないか。 このように、インドネシア料理とは、国内外においてナショナリズムを植え付けるための重要な料理であり、ここにれっきとしたインドネシア料理が、インドネシア国家の名において存在する。
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